2023年11/12(日)・11/19(日)・11/26(日)・12/3(日)に当センターが開催した、産業競争力強化法に基づく特定創業支援等事業の創業セミナー「Practice Fields(プラクティス・フィールズ)」で行われたトークセッション内容をご紹介します。
創業セミナー「Practice Fields」では創業を目指す方に、創業に対してより具体的なイメージを持っていただくとの趣旨のもと、実務経験が豊富な創業者などをゲストにお招きし、具体的な経験談、苦労したこと、失敗したことなど他所では聞けない話題を提供します。
トークセッション コーディネータ:有限会社そーほっと 代表取締役 森下ことみ
第1回ゲスト:神楽坂 BASIC 瀬口 祐貴子氏
熊本県出身。
大学卒業後、神楽坂にある洋菓子店に就職するために上京。その後、転職を検討していたところ、居酒屋で知り合ったバー「BASIC」の店長に誘われ、飲食業界に。約3年の経験を積んだ後、26歳で店舗を事業承継し「神楽坂BASIC」を2017年にオープン。明け方まで営業していることもあり、近隣の飲食店経営者の交流の場にもなっている。
神楽坂 BASICのInstagram
開催日:第1回 11/12(日) 15:00〜17:00
Q1 創業の理由・動機
― 大学卒業後は、上京して洋菓子店で働いていたそうですね。
瀬口祐貴子氏(以下、瀬口):実家がイチゴ農家で、大学まではウチのイチゴを使ったケーキを作る工場でずっとバイトをしていたので、(洋菓子店は)働くイメージが付きやすかったというのがありました。あとは神楽坂の洋菓子店で働いていたのですが、ガラス張りのところで作って、お客さんが見えるんですよ。大学の間に働いていた工場は、お客さんが全く見えないところだったので、お客さんを見ながら製造ができるのが良いなと思って、応募して就職しました。
― その頃に神楽坂の色んなバーに通っていたんですよね。
瀬口:はい。毎日仕事が終わって、神楽坂のお店を飲み歩いていました。その時にいま私が経営している店の当時のマネジャーに出会って「バイトしてみない?」ってお話を頂いたんですけど、飲むのが好きだったので働きたくないなと思って、ずっと断っていました。でも転職を考え出した頃に、次の仕事までのつなぎなら良いかなと思い、働き出しました。
仕事は違う業種で探していたのですが、しっくりこないなっていうのはありました。バーのお客さんと色んなお話をして、お客さんがどういうお仕事をしているのかとか、自分の知らないことをいろいろ教えていただくことが多くて楽しかったです。
― (参加者からの質問)お店を任されるようになったのはどういうきっかけだったんですか?
瀬口:最初にバイトとして声を掛けられた時は、単に人が足らなかったからだと思います。私が働き出してから少しずつ常連のお客様が増え出したのですが、さまざまな事情で前のオーナーが店をやめるか悩まれていたので「良ければこのお店を継がせてください」という話はしていました。
― そうこうする内に正社員になられたんですよね。その頃のお店の様子はどうだったんですか?
瀬口:私が店長でやっていたんですけど、どうしたら来店機会を増せるかみたいなことをスタッフと相談して、ちょっとずつですが、店がにぎわいつつありました。自分で考えて工夫したことが、売上につながっていくと良かったなと思って、ハマっていってしまいました。
― オーナーを引き継がないかって言われた時はどういう思いでしたか?
瀬口:やりますって、即決しました。
― 26歳で40席もある神楽坂のバーをやるって、即決できるようなことじゃないと思うんですが。
瀬口:若かったので怖いもの知らずというか、何も分かっていなかったので謎の自信がすごくありました。あとはたとえダメだったとしても、まだ若いので働き口があるかなとか思って、とりあえずやれるチャンスは今しかないかもしれないのでやりました。
Q2 チームについて(誰とやるか)
― 瀬口さんがバーを引き継いだときには、新しいメンバーで始めないといけなかったんですよね?
瀬口:はい。40席あるので1人では無理なので、求人サイトと張り紙でアルバイトの募集をかけたんですけど、たまたま本当にいいスタッフに恵まれました。始めた時期が年末の繁忙期で、本当に大変だったんですけど、みんないい子で、すごくお客さま思いでやってくれました。
私は色んなお客さまのことを分かっていますけど、お客さまの好みとか、こういう話が好きだとかっていうのを伝えるのって難しくて。さらに私も接客しながら、調理しながら、それをアルバイトの子たちに教えていくっていうのがとても難しくて大変だったんですけど、いいスタッフに恵まれて、ありがたいなと思っています。
― でもコロナ禍でお店を閉めることに。
瀬口:大学生のアルバイトの子は、コロナ中に卒業を迎えてしまって、ほかのスタッフも他の業界に就職したので、コロナ中は一人で営業するっていうのが続きました。いまは1人バーテンダーに入って頂いています。いまもまだ求人を掛けているんですけど、お客さまは何か失礼なこととかがあるとすぐに来店されなくなることもあるので、面接はかなり慎重にやっています。なるべくいい子を採用したいので、きついんですけど、見つからない間は2人で頑張ろうっていう話をしてやっているところです。
― カウンター10席のバーを一人で回すのとは違う商売ですよね。
瀬口:神楽坂は飲食店がすごく多くて、ライバルが多いというか。他のお店とも仲は良いんですが、お客さまももちろんかぶっていますし、何かあるとみなさんそっちへ行ってしまうので、生き残るためにはこういう選択をしないといけないかなと思って、いま2人で頑張っています。
Q3 事業の展開、転機
― コロナ禍の3年間はどのくらい大変でしたか?
瀬口:従業員がいなくなったのと、営業しても誰も来ないっていう日が続いて、このままやっていて大丈夫かなとか、今まで感じたことがない不安がありました。時短営業中はほとんどお客様がいらっしゃらなくて、時短営業が明けても本当にお客様は少なかったです。ウチのお店は広いので、団体のお客様がいらっしゃらないと売上が上がらないんですよね。それも無くてとにかく厳しかったです。ギリギリのラインで経営していました。
― 助成金や補助金はあったが、精神的につらいですよね。
瀬口:そうですね。追加で融資は受けたので、資金繰りは当面は大丈夫かなとは思っていたんですが、お客様が戻ってくるのかなとか、これはいつまで続くんだろうとか、先の見えない不安があったっていう感じですかね。違う仕事を探した方がいいのかなっていうのも正直ありました。
― コロナの間は実家の農業を手伝っていたと聞きました。
瀬口:はい。時短営業をやってもお客さんほとんどいらっしゃらない状態だったので、割り切って実家に帰って農業を手伝わせてほしいっていう親にお願いして、1年半ぐらい手伝っていました。
親は私の精神的なことを心配していたので、やりたいんだったらいいよって快く受けてくれました。イチゴを作ったり、夏は違うところでトマトを作ったりとか色んな近所の方の畑を手伝わせてもらったりとかしていました。
― 現在のお店の状況はどうですか?
瀬口:朝までの営業時間なんですけど、なかなか深夜帯のお客さんが戻ってこなくて、どうしていこうかなっていうところです。これまでは団体での貸切とか、毎年やってもらっていた宴会とかがあったんですけど、なかなか人数が集まらないみたいなことを言われることが多いです。
Q4 資金調達について(自己資金・融資・投資)何を使ったか、どう考えているか。
― 事業承継の際には、瀬口さんは自己資金300万円と東京都の創業サポート事業で信用組合さんから500万円の融資、日本政策金融公庫から500万円の融資を受けました。あと、東京都の商店街で開業する人を対象にした「若手・女性リーダー応援プログラム助成事業」を活用されて、約700万円の助成がある事業でしたが、それにも採択されています。
― (参加者からの質問)創業計画書の作成・確認にどれくらいの時間を掛けましたか?
瀬口:3カ月ぐらいはしっかり練って、創業計画書に加えて、私の場合は1年後のプランとか収支の理想のプランを3年分ぐらい付けて出しています。若かったので、融資受けられるかどうか不安があったので、しっかり資料を作った記憶があります。
Q5 今後の展開(どうなりたいか)
― 農業をやりたいと聞きました。
瀬口:できたらいいなと思っています。異常気象で、今まで作れた物が作れなくなったり、今まで作れなかった物が作れたりとか、気温の変化で新しいチャンスがあるんじゃないかなと思っています。それもあって実家に帰ったり、農業を見させてもらったりしています。
― 飲食業と掛け算的に考えている?
瀬口:そうですね。せっかく飲食店で働いていて、同業者もたくさん来るお店になっていたので、できれば食材を紹介できたりとか、自分が作れるチャンスがあったら使ってもらったりとか、農家さんと飲食店の人たちをつなげる仕事もできたらいいなと思っています。
― 何かみなさんに一言お願いします。
瀬口:私はたまたま若いときにチャンスがあって、飛び付いたみたいな感じなんですけど、できるだけアンテナを張って、みなさんもこれはチャンスだと思ったら是非やってほしいなと思います。